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名のない遺影〜南方に散った親族を探す旅〜前編

日本の古い家屋の仏間には、よく軍服姿の兵隊さんの遺影が飾られている。
でも、その人が誰なのか、いつどこで亡くなったのか、何も知らない――心当たりのある方も多いのではないだろうか?

 

工藤真利江さん(秋田県在住)の実家には、そんな遺影が二葉あった。

 

慰霊碑に刻まれた二人の名前

 

「打川菊治という人と與市という人が戦死していたことは聞いていたけれど、家族の誰もどちらが菊治さんでどちらが與市さんか知らなかったんです。私も気にはなっていたんですが、ずっとそのままになっていて‥‥」と工藤さんは語った。

 

工藤真利江さん

 

菊治さんと與市さんは兄弟で、工藤さんの大伯父にあたる。自分の親族のことなのに、何もわからないままにしていていいのだろうか?工藤さんは悩んだ。

しかし、当時を知る人は周囲におらず、戦争というデリケートな話題ということもあり、家族にも相談できないまま、月日だけが過ぎていった。

 

そんな工藤さんだったが、二人について調べてみようと思える出来事が起こった。

15年ほど前、鹿児島の知覧特攻平和会館を訪れた際、ずらりと並んだ特攻兵の遺影の中に「この人について知っている方がいたら情報をお寄せください」と懇願のメッセージが記載されていたのだ。

これを目にした工藤さんは「戦争って昔のことじゃないんだなと、すごく身近に感じられた」という。そして、自分も二人の大伯父について、改めて調べてみようと決意した。

 

しかし、調査は難航した。調べ方がわからなかったのだ。

工藤さんに限らず、これは戦死した親族について知りたいと思う方が最初に遭遇する問題である。菊治さんと與市さんは遺影こそあるものの、所属や階級すら不明の状態だった。一般の方がここから足取りを辿るのは容易ではない。

当時の工藤さんにできたのは、戦争関連の書籍を読んだり、家族や親戚に話を聞くことだけだった。それでも、工藤さんは諦めず、こつこつと資料を集め続けた。

 

そんな工藤さんにとって、2020年が転機の年となる。1月、偶然購入した長沼宗次著『フィリピンに消えた「秋田」の軍隊』の戦没者名簿に與市さんの名前を発見したのだ。戦没地や戦没日、階級も載っていた。

そして、同年夏、秋田魁新報の連載「祖父たちの戦争」を読んだ工藤さんははっとした。自分と同じような状況から、戦死した親族の調査をしている人たちがいたのだ。軍歴証明書という言葉も知った。そして、インターネット検索をしているうち、工藤さんは当団体のスタッフブログ(【保存版】親族の軍歴を調べる方法)に辿り着いたという。

 

(余談にはなるが、まさに工藤さんのような方に読んでもらいたいと思って執筆したブログ記事だったため、筆者としても嬉しい限りである。)

 

工藤さんは二人の戸籍謄本を取得し、生年月日や戦死場所を確認。遺影の軍服も所属や階級の手がかりとなった。これらの情報から、県に軍歴証明書の申請を行ったのである。

 

それぞれの遺影の名前も判明した。これまで得た情報を統括、推理し、さらに県から送られてきた二人の軍歴証明書の記載内容とも照らし合わせてみた。

 

打川菊治さん

 

 

打川與市さん

 

帽子をかぶり、凛々しい眉が特徴的なのが兄の菊治さん(昭和19年6月28日、西部ニューギニア・サルミにて戦病死。上等兵)。

坊主頭で、まだ、あどけなさが残る青年が弟の與市さん(昭和20年7月10日、フィリピン・ルソン島・マニラ東方40kmの地点で戦死。伍長)。

 

終戦から75年、名のない遺影に名前が返ってきた瞬間だった。

 

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※この記事はhistory for peaceのスタッフが工藤真利江さんへインタビューをし、掲載しています。画像等、無断での使用はご遠慮ください。